第二弾は、自分の心から自由がなくなりそうになったとき。
自由は、他者から測られるものではなく、自分にしかわからないものだから。
自由に生きる、それは「人生を創ること」そのものなのかもしれない。
【色々な人生に触れる】
色々な生き方がある。ものすごく当たり前なようで、簡単に忘れがちだ。
自由 – 私たち自身で自分の人生を選んでいけるという感覚、それを忘れないためには、選択肢が目の前にはたくさんある、ということを忘れないようにすることがまず必要だ。
毎日のあれやこれやに意識が集中していると、自分の人生の可能性の広さを忘れがち。そんな時、友達や家族だけでない人々のライフストーリーが、自分を救ったりする。

例えば、人のエッセイを読むこと。色々な人生があり、人生には色々ある、ということだけではなく、その色々に対しての筆者の感じ方や思いを読むことが、自分の人生に対して新たな視点を生む。自分のことばかり見ていても、自分は見つからない。他の人の言葉を通して別のライフストーリーに触れることが、私たちの人生を俯瞰的に見つめる助けになることがある。
【振り返り】
「フェリスはある朝突然に」(原題 : “Ferris Bueller’s Day Off”) という映画で、こんなセリフがある。
“Life moves pretty fast. If you don’t stop and look around once in a while, you could miss it – 人生はあっという間。時々止まって振り返らないと、人生そのものを見失ってしまうかもしれない”
この映画はまさに自分の人生の主導権について考えたくなる至極のコメディー映画なのだが、その中でもこれはお気に入りのセリフだ。

自分が今何をしていてどこに向かいそうなのか、自分がその時何を思っていて何を感じたのか、振り返ってみること。頭の中だけで振り返ろうとするのは無理があるので、文章にするのもいい。
あっという間に時は経ってしまうからこそ。自分にしか体験できない自分の感情や日々を振り返る時間を少しだけでも作ることは、人生が自分の手の中にあるという感触を忘れないために、必要な時間だ。めまぐるしい日々を送る人にも、今の自分の日々には何もないと感じる人にも。
【迷いからの解放】
「目の前に広がる選択肢の中から」何でも「自由に」決めることができる、という状態は確かに自由だが、決めることにはエネルギーがいるし、オプションの多さは自由だけでなく迷いも生む。あまりにも迷う時間が長いと、その迷いに捉えわれている時間は、例え外部から何も縛られていないにしても、本当に自由なのか。
自由でいるためには決断が必要だ。
例えば、動画配信サービスでたくさん映画が並んでいる状態。選択肢が多いからこそ選ぶ自由の幅が広いように感じたとしても、結局迷って決めきれず結局時間だけが経っている状況を経験したことがある人は多いのではないか。
決めることは、例えそれがどんなに小さなものだったとしても、意志と覚悟がいる。決めることは、何かを拘束することに見えるかもしれないが、それは迷いからの解放でもある。

もう一つ、迷いから解放されるために、自分で自分にルールを設定するという逆説的な方法を取ることも手だ。その一つがルーティーン。
例えば、平日の朝と夜のルーティーン。
些細なことでもいいし、脅迫概念として守る必要はない。帰宅後は15分でまず部屋の掃除をするとか、30分趣味の時間を作るとか、朝のスキンケアルーティーンがあるとか。できない日があってもいい。だけど、自分にとって心地よい「日常」を設定するのは個人的にはおすすめだ。自分がルーティーンを守るのではなく、時にルーティーンが自分を守る。自分で作ったある程度の “型” が自己肯定感 (精神の安定や達成感) にも繋がったりもする。
もちろん、あくまでも精神の安定の為のルーティーンが、自分にとって息苦しいのであれば本末転倒だし、自分の設計したい人生が変われば、ルーティーンもガラッと変わるだろう。時によっては(人によっては)、何もルールを定めないほうがいい、という判断の場合もあるだろう。
だけど、「自分へのルールを設定してそれを達成できる日をつくる」ことを通して、一見不自由にも思える「決める」という行為が、思い通りにならない人生の中でもその主導権を自分に戻すために、必要だったりするのだ。
【終わりに】
自分の心から自由がなくなりそうになったとき。何ができるか。
ここでは、外部的な制限への具体的な解決策というよりも、自分のできる範囲で、を考えた時の個人の心の不自由さからの解放について書いている。自由というのは定義が大きい言葉で、外部的な制限に取り組むことが必要な場合もある旨、記載したい。
毎日に自由を感じることが必ずしも簡単ではない中で、気負わずに、でも”自分の人生を歩んでいる”と長い目では思えるくらいに自由を掴んで、自由を感じて、生きていけますように。

